熊野那智大社の概要
熊野那智大社は和歌山県那智勝浦町にある非常に由緒ある神社。熊野本宮大社、熊野速玉大社と共に熊野三山を構成する一角であり、2004年には「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産に登録された。
境内は奥深い那智山の中腹に位置しているが、周辺には日本一の名瀑・那智の滝や熊野古道の中で最も往時の雰囲気を残す大門坂など、見どころが非常に豊富。熊野那智大社境内も桜やアジサイといった花々が美しく咲き、また御本殿は国の重要文化財に指定されている。
熊野那智大社の歴史
熊野那智大社の起源は初代天皇である神武天皇が日本統一のため東征を行った頃まで遡る。社伝によると、熊野灘に上陸し光り輝く山(現在の那智山)を見つけた一行は、その山を目指して進んだところ那智の滝を探り当てられ、これを御神体として祀った。
その後、仁徳天皇の御世(317年頃)に山の中腹へ改めて社殿を設け、熊野の神々もそちらへ遷すことにした。これが熊野那智大社の始まりとされている。
なお、平安中期以降に隆盛した熊野信仰は神仏習合の性質が強く、熊野那智大社もその例に漏れず明治期に入るまでは多くの坊舎を有する一大修験道場として栄えていた。ところが明治維新に伴う廃仏毀釈の流れにより、熊野那智大社も神仏の分離を余儀なくされ、最終的に境内北部が青岸渡寺(せいがんとじ)として分離独立して今に至っている。
熊野信仰と熊野三山
熊野三山を語る上で熊野信仰への理解は欠かすことができない。奥深い山々に覆われた紀伊半島南部に広がる熊野の地は、古来より信仰の対象であった。平安中期以降、宇多上皇が熊野の地へ御幸(ごこう=上皇が外出すること)したことを皮切りに、白河上皇、後白河上皇、後鳥羽上皇と言った多くの上皇が「熊野御幸」を繰り返した。(中でも白河上皇2回目の御幸は総勢800人以上の大所帯となり、また後白河上皇の参詣は累計34回に及んだとされる。)
こうした歴代上皇による熱狂的な熊野御幸が熊野信仰隆盛のきっかけとなり、その信仰は朝廷関係者や武士、さらには一般大衆にまで浸透した。参詣者たちは奥深い熊野の山中を結ぶ参詣道(熊野古道)を利用し、3つの聖地である熊野本宮大社(上画像)、熊野速玉大社(下画像)、熊野那智大社(総称して熊野三山)を目指して歩を進めた。
参詣道には身分や老若男女の別なく多くの人々が行列を成したため、その賑わいようは「蟻の熊野詣」とも形容される程であった。そしてこの伝統は現代に至るまで続いており、特に2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産に登録されてからは、日本人だけでなく海外からも注目を集めている。
熊野那智大社の見どころ
参道
那智山中腹に位置する熊野那智大社は、最寄りバス停から境内までは上り階段が延々と続く。ただ一の鳥居までの道中には土産物屋が立ち並び、観光地としての雰囲気も漂っている。6月中頃になると一の鳥居から二の鳥居の間にはアジサイの花がちらほら咲き、また参道脇にはアジサイ園も開所される。
礼殿
500段弱もの階段を登り切り二の鳥居を抜けた先には、社殿が並ぶ神聖な空間が広がっている。その中で最も大きな建物が礼殿で、国重要文化財指定の御本殿はこの礼殿の奥に建っている。一般の参拝者は瑞垣越しでしか御本殿を見ることはできない。
宝物殿
二の鳥居の正面に立つ宝物殿は、向かって左に掲げられた大きな絵馬が特徴的な建物。内部には朝廷や幕府からの奉納品や祭具など、貴重な文化財が保存・公開されている。
御縣彦社と八咫烏像
礼殿と宝物殿の間に建つ御縣彦社(みあがたひこしゃ)は、熊野信仰における神の使いとされる八咫烏(やたがらす)を祀っている場所。正面には八咫烏の銅像が立つ。
なお八咫烏とは、日本を統一した神武天皇を熊野の地から大和の橿原まで道案内したと伝えられる伝説上のカラスのことで、現在はサッカー日本代表のエンブレムに使用されていることでも非常に有名。
手水舎
礼殿の手前に設置されている手水舎では、近年神社仏閣で流行りの花手水のアレンジが施されている。アジサイのシーズンである6月半ばには色とりどりのアジサイの生花が水面に浮かんでいた。神聖な境内にあってとても可愛らしい見どころとなっている。
大楠
隣接する青岸渡寺へと続く東門の側には、大きなクスノキがそびえ立っている。樹齢は850年と推定され高さは約27mもあり、熊野那智大社における御神木として祀られている。また幹の中は空洞化しており胎内くぐりを行うこともできる。
熊野那智大社と那智の滝
「熊野」「那智」というワードを聞けば、誰しもが日本一の名瀑・那智の滝のことを思い浮かべるだろう。ところが厳密には、熊野那智大社の境内からは那智の滝を望むことはできない。
有名な那智の滝と三重塔の構図は、熊野那智大社に隣接する青岸渡寺(上画像)の境内から見ることができる。このお寺は上述したとおり元々熊野那智大社の一部であったが、明治初期の廃仏毀釈の煽りを受けて寺として分離独立したもの。(このような歴史的背景から、現代における熊野三山は本宮・速玉・那智の三社に青岸渡寺を加えた三社一寺であると解されている。)
また、那智の滝を御神体として祀っているのは青岸渡寺から少し下った所にある飛瀧神社(ひろうじんじゃ)で、境内からは日本一の名瀑の迫力を間近で見ることができる。なお、この神社は熊野那智大社が造営される以前に熊野の神々を祀っていた場所で、現在は熊野那智大社の別宮となっている。ただし、熊野那智大社から飛瀧神社までは歩いて15分程の距離が離れている。
熊野那智大社の拝観時間と拝観料
【拝観時間】午前8時30分から午後4時30分まで
【拝観料】無料(宝物殿は300円)
熊野那智大社へのアクセス
JR紀勢本線「那智勝浦駅」より熊野御坊南海バス(那智山線・那智山行き)に乗車し「那智山」バス停下車徒歩約5分
※熊野本宮大社からは、「本宮大社前」バス停より熊野御坊南海バス(川丈線・新宮駅行き)に乗車し「大橋通り」バス停下車、同バス(新勝線・紀伊勝浦駅行き)に乗り換え「那智勝浦駅」バス停下車、同バス(那智山線・那智山行き)に乗り換え「那智山」バス停下車徒歩約5分(所要時間約2時間30分)
※熊野速玉大社からは、「速玉大社前」バス停より熊野御坊南海バス(新勝線・紀伊勝浦駅行き)に乗車し「汐入橋」バス停下車、同バス(那智山線・那智山行き)に乗り換え「那智山」バス停下車徒歩約5分(所要時間約1時間20分)
熊野那智大社周辺の名所
前述したとおり、熊野那智大社の周辺には有名な那智の滝と三重塔の構図を望める青岸渡寺や、那智の滝を間近に見ることができる飛瀧神社があり、どちらも必ず併せて訪れたい。
また、最寄りバス停である「那智山」の手前にある「大門坂入口」バス停からは、熊野古道の一つである大門坂(上画像)を通って熊野那智大社まで向かうこともできる。苔生した石段と杉並木が続くその道のりは熊野古道の中で最も往時の雰囲気を残していると言われ、また距離も片道約1.3km(所要時間約40分)と短く、今では最も人気のある熊野古道のコースとなっている。(なお、雨に濡れると石段は大変滑りやすくなるので、足元には注意が必要。)