神倉神社の概要
和歌山県新宮市にある神倉神社(かみくらじんじゃ)は、熊野三山の一つである熊野速玉大社の摂社。境内が所在する神倉山は熊野権現が最初に降臨した場所とされており、その歴史的背景から2004年には「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産に登録された。
社殿は小高い神倉山の頂上に鎮座しており、そこへ延びる参道の石段は日本一険しいと言っても過言ではない。その分、頂上からは新宮市街地や太平洋までを一望できる。
神倉神社の歴史
熊野三山の祭神である熊野権現が最初に降臨したのは、熊野速玉大社から程近い場所にある神倉山という小高い山だったとされる。山の頂上には今もなお残る巨岩・ゴトビキ岩が鎮座し、これが御神体として祀られた。
当時はまだ社殿というものも存在しない原始信仰の時代であったが、今から約二千年前の景行天皇の御世(西暦128年頃)、鎮座地を神倉山から山麓の方へ遷され、社殿を造営した。これが熊野速玉大社の始まりとなった。(このような経緯から熊野速玉大社は「新宮」とも呼ばれ、これが「新宮市」という街の名前の由来になっている。)
一方で神倉山の方は「旧宮」として神倉神社が創建され、熊野信仰が隆盛した平安中期以降は熊野速玉大社の奥院として多くの崇敬を集めた。明治後期には熊野速玉大社の摂社となり今に至っている。
神倉神社の見どころ
神倉神社を最も特徴づけるのが538段に及ぶ非常に険しい参道の石段。その勾配はほとんど崖を登っているかの如く急峻で、しかも石段が自然石で出来ていることから足元が非常に凸凹しており登りづらい(降りづらい)。その道のりの過酷さは「日本一険しい参道」と言って過言ではない。
無事山頂までたどり着くと、そこには御神体であるゴトビキ岩と拝殿が鎮座する異様な光景が広がっている。ゴトビキ岩のその大きさは実際に目にすると想像以上の迫力があり、自然の神秘性や驚異というものを身を持って感じさせられる。
そして東の方角に目を向ければ、新宮市街地とその後方に広がる太平洋までを一望できる。ここまで険しい石段を登り切ったという達成感も相まって、雄大な景色を前にとても爽快な気分に浸れるだろう。また春の季節になると山頂付近には桜の花が咲き、神聖な空間に彩りを添える。
神倉神社参拝時の注意点
上述したとおり神倉神社の参道の石段は非常に急勾配で、かつ足元が観光客用に全く整備されていない原初的な状態(当然手すりもない)なため、想像以上に登りにくい。また登りよりも下りの方が遥かに危険で、ほとんど尻もちをつきながら下らざるを得ないほど。そのため年配の方やヒール等の靴では登らないよう公式ホームページでわざわざ記載がされている。(石段の下にも社があるのでそちらの方でも参拝できる。)
また、雨が降って石段が濡れた状態の場合も非常に危険。とにかく足元が滑りやすくなるので、特に下りの際は誤って転落しないよう細心の注意を払わなければならない。なお、御朱印等は熊野速玉大社の方で頂くことができる。
神倉神社の奇祭 御燈祭
神倉神社では毎年2月6日になると例祭である御燈祭(おとうまつり)が開催されている。文献で遡れるだけでも1400年以上前の飛鳥時代から記録が残る非常に歴史のあるお祭りで、またその奇抜さから勇壮な火祭りとしても全国的に知られている。
その内容は白装束に荒縄を締めた「上り子(あがりこ)」と呼ばれる男子約2,000人が神倉山山頂で各々の松明に火を灯し、そのまま538段の急峻な石段を駆け下りるというもの。あの石段の過酷さを知る者にとってはにわかには信じ難い話だが、その景色はまるで火の滝のような躍動感に満ちているという。現在は国の重要無形民俗文化財にも指定されている。
神倉神社の参拝時間と参拝料
【参拝時間】散策自由
【参拝料】無料
神倉神社へのアクセス
JR紀勢本線「新宮駅」下車徒歩約15分
神倉神社周辺の名所
神倉神社を参拝したら本社である熊野速玉大社(上画像)の方もぜひ併せて立ち寄りたい。熊野詣の目的地の一つとして平安中期以降非常に栄えた由緒ある神社で、神倉神社からは歩いて10分程の距離にある。また新宮駅への道中の熊野川沿いには、かつて新宮城が存在した場所が史跡公園として整備されている。