オランダ ユトレヒト(Utrecht, The Netherlands)

ベネルクスの名所

ユトレヒトの概要

ユトレヒト 街並み

 ユトレヒト(Utrecht)はオランダ中部に位置するユトレヒト州の州都で、オランダ第4の都市。オランダにおける最も古い都市の一つであり、中世以前よりオランダにおける宗教の中心地、また17世紀のオランダ黄金時代にてアムステルダムが台頭するまでオランダ文化の中心的都市であった。さらには近世においてユトレヒト同盟やユトレヒト条約が結ばれた場所としても世界的に知られている。

ユトレヒト 街並み

 またユトレヒトは国土のほぼ中央付近に位置していることから交通の要衝でもあり、現代においてもユトレヒト中央駅がオランダで最も利用者数の多い国内最大のターミナル駅として機能している。他、オランダ最大の大学であるユトレヒト大学や世界的キャラクター・ミッフィーの生みの親であるディック・ブルーナの故郷としても有名。

ユトレヒトの歴史

 ユトレヒトの始まりはローマ帝国全盛期の1世紀半ば頃まで遡り、帝国領北端の国境線を守るために築かれた要塞を起源とする。その後8世紀半ばにはフランク王国の領土の一部となったが、王国分裂後は東フランク王国、次いで神聖ローマ帝国の支配下に置かれ、この間ユトレヒトは北ネーデルラント(現在のオランダ)における最も重要な都市として栄えていた。(一方でアムステルダムを始めとした近世以降におけるオランダの主要地域=ホラント州一帯はまだ未開の土地であった。)

ユトレヒト オーデフラハト

 16世紀半ばになるとネーデルラントの支配権はスペインに移り、スペイン王・フェリペ2世はネーデルラントへの圧政や宗教弾圧を強めていった。これに対しオラニエ公ウィレム1世は1568年に反乱を起こし、これがその後80年の長期に渡る戦争(オランダ独立戦争)へと繋がっていく。またこの戦中の1579年、ホラント州やユトレヒト州を始めとするネーデルラント北部7州は対スペイン軍事同盟をユトレヒトの地にて締結する(ユトレヒト同盟)。

ユトレヒト 街並み

 戦争はネーデルラント側の勝利に終り、1648年にユトレヒト同盟は国際的に認められ、北部7州はオランダとして正式に独立を果たした。このことからユトレヒト同盟はオランダという国の建国の礎になったと言われている。また18世紀に入ると旧宗主国であるスペインで王位継承を巡る大規模な戦争が勃発したが、この和平交渉として1713年にユトレヒト条約が結ばれている。このようにユトレヒトは近世における歴史的な国際交渉の舞台に度々選ばれた場所であった。

ユトレヒトの見どころ

ユトレヒト 地図

 下記に示すユトレヒトの見どころはいずれもユトレヒト中央駅の東側に広がる旧市街に位置している。なおユトレヒトの旧市街は上図に示すとおり運河によって四方を囲まれており、また内部にも運河が入り組むようにして流れ、その景観はオランダの典型的な街並みと言っていい。また旧市街の周囲は5㎞程と広くなく、徒歩でも半日もあれば十分ユトレヒトの主要名所を見て回ることができる。加えてユトレヒト中央駅はオランダ最大のターミナル駅であるためアクセスも非常に良く、オランダ旅行中時間が空いた際に観光するには最適な場所と言える。

※各料金は2023年時点のものです

ドム塔

ユトレヒト ドム塔

 歴史あるユトレヒトの街においてそのシンボルとされるのがドム塔(Dom Tower)高さは112mでユトレヒトにおける最も高い建物であり、またオランダ国内で最も高い教会塔でもある。その建設は1321年から1382年にかけて行われたゴシック様式の建物で、当初はドム教会の一部(鐘楼)であったが、1674年に発生した竜巻により教会と鐘楼を結ぶ身廊が崩壊。その後身廊は再建されなかったため、以降は独立塔として現在に至るという歴史がある。

 なおドム塔は内部に入ることが可能で、465段の階段を上った先にある展望台からユトレヒトの市街地を一望することができる。ただし入場の際はツアーの申込みが必須。また2023年現在、ドム塔は再建工事中であることにも注意(2024年末完了予定)。


【営業時間】ツアー:11:00〜17:00(30分毎)
【料金】€12.5(€1=150円として約1900円)
【アクセス】オランダ鉄道「ユトレヒト中央駅(Utrecht Centraal)」下車徒歩約10分

ドム教会

ユトレヒト ドム教会

 上述したドム塔の東側すぐに建つ大きな建物がドム教会(Domkerk)。元々はカトリックの教会として630年頃に建設されたもので、中世にかけてはユトレヒト大司教区の司教座聖堂として君臨していたが、16世紀半ばの宗教改革を経て現在はプロテスタントの教会となっている。1674年の竜巻をはじめ度々自然災害の被害に遭ってきたが、今もなおオランダ最大の大聖堂としてその存在感を示している。


【営業時間】・水~金:10:00~17:00 土:11:00~15:30 ・日:14:00~16:00
※月・火は定休日
【料金】無料
【アクセス】オランダ鉄道「ユトレヒト中央駅(Utrecht Centraal)」下車徒歩約10分

ユトレヒト大学

ユトレヒト ユトレヒト大学

 ドム教会向かって右側にも美しいネオルネッサンス様式の建物が建っている。こちらはオランダ最大の大学であるユトレヒト大学(Utrecht University)の本部で、その歴史はオランダ国内ではライデン大学、フローニンゲン大学に次いで3番目に古い(1636年創立)。ちなみにユトレヒト大学のメインホールは元々はドム教会の参議会会場だった場所で、ユトレヒト同盟の署名はそこで行われたという歴史がある。また校舎前に建っている銅像はヤン・ファン・ナッサウという人物で、彼はオラニエ公ウィレム1世の弟であり、またユトレヒト同盟の成立に尽力したオランダ王家の父祖として知られている。


【料金】無料
【アクセス】オランダ鉄道「ユトレヒト中央駅(Utrecht Centraal)」下車徒歩約10分

オーデフラハト

ユトレヒト オーデフラハト

 オランダの街並みと言えば運河。前述したとおりユトレヒトの旧市街地内にも運河が流れており、その名をオーデフラハト(Oudegracht)と言う。これは「古い運河」という意味で、街の南東から中心部を縦断する形で流れている。中でも北部の流れはおよそ1000年頃には存在していたとされ、かつては運河沿いに多くの倉庫が建ち並んでいたが、現在はお洒落なカフェやレストランが多数店を構えており、多くの人出で賑わう街のメインエリアとなっている。


【営業時間】散策自由
【料金】無料
【アクセス】オランダ鉄道「ユトレヒト中央駅(Utrecht Centraal)」下車徒歩約10分

ミッフィーの信号機

ユトレヒト ミッフィーの信号機

 現代のユトレヒトにおける最も有名な観光資源と言えばミッフィー(Miffy)だろう。その愛くるしいうさぎのキャラクターはユトレヒト出身の絵本作家・ディック・ブルーノの手によって生み出されたもので、その経緯から現在のユトレヒトは「ミッフィーの生まれた街」として世界的に認知されている。

ユトレヒト ミッフィーの信号機

 街にはミッフィーミュージアムなどミッフィーにちなんだスポットが多数存在するが、中でも最もユニークな見どころは「ミッフィーの信号機」だろう。その名のとおり人形の代わりにミッフィーがデザインされた世界に一つしかない信号機で、場所は旧市街の北西部、デパートのde Bijenkorfdeの前に位置している。なお信号機の大きさ自体は通常のものと変わらず意外と目立たないので、見逃してしまわないように注意。


【営業時間】散策自由
【料金】無料
【アクセス】オランダ鉄道「ユトレヒト中央駅(Utrecht Centraal)」下車徒歩約5分

ユトレヒトへのアクセス

【アムステルダムから】
アムステルダム中央駅(Amsterdam Centraal)からユトレヒト中央駅(Utrecht Centraal)まで、ICE又はIntercity利用で所要約25分

【ロッテルダムから】
ロッテルダム中央駅(Rotterdam Centraal)からユトレヒト中央駅(Utrecht Centraal)まで、Intercity利用で所要約35分

ICE(イーツェーエー)=ドイツを中心に運行されている高速列車(新幹線に相当)だが、アムステルダムとフランクフルトを結ぶ国際列車も存在する
Intercity(インターシティ)=オランダ国内の都市間を結ぶ特急列車

ユトレヒト近郊の名所

デ・ハール城 庭園

 ユトレヒトを訪問したらぜひ併せて訪れたいのが、ユトレヒト郊外に位置するデ・ハール城(De Haar Castle)オランダ最大の城としてよく知られており、また城内の豪勢な装飾や数多くのコレクション、城を取り囲むように広がる美しい庭園や広大な自然など見どころが盛り沢山。ユトレヒト中央駅からは片道1時間半足らずで行くことができる。

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