一心寺の概要
一心寺(いっしんじ)は大阪市天王寺区にある浄土宗の寺院。ここでは宗派を問わず納骨を受け付けており(一部宗派を除く)、また受け付けた遺骨10年分をひとまとめにして阿弥陀如来にする「骨佛(こつぶつ)」を実施しているお寺として非常によく知られている。
骨佛は昨今の墓地事情等により、先祖の遺骨を理想的な形で供養する方法として全国から多くの納骨が寄せられている。また集められた納骨は前述したように10年ごとに骨佛へ造立され、直近の骨佛開眼は2027年とされている。
一心寺の歴史
一心寺の創建は鎌倉時代の幕開けとなる1185年まで遡る。当時から大阪有数の大寺院であった四天王寺・別当の要請により、浄土宗の開祖である法然が四天王寺西門の坂道のほとりに草庵を結んだのがその始まりとされる。当時はここから遠く海を見渡せ(大阪湾は元々四天王寺の西側まで深く入り込んでいた)、西方に夕日が沈んでいく様子はさながら極楽浄土のようであったという。時の権力者・後白河法皇も四天王寺参詣の折立ち寄ったとされる。
それから時は経ち戦国末期の1596年、三河国の僧侶・本誉存牟上人は当地にて念仏修行を行い、「一心寺」として再興した。その後1600年に徳川家康の八男・仙千代が失くなると、家康は存牟が同郷という縁もあって当寺で法要を営んだ。そしてその14年後に勃発した大坂冬の陣では、家康はこの一心寺に陣を置いている。
19世紀に入ると、一心寺は宗派を問わず年中無休で無縁の霊を供養する施餓鬼供養を始めたことで大いに賑わった。さらに明治に入ると、1887年に前述した骨佛の作成が始まり、以降2023年までに計14体の骨佛が造られた。しかしながら、第二次大戦に伴う空襲によって骨佛6体と境内の殆どが焼失してしまう。戦後は伽藍が再建されると共に、近年は鉄とコンクリートからなる山門や信徒会館など、現代建築的な施設も新たに建設されている。
一心寺の桜
納骨のために毎日多くの人出で賑わう一心寺であるが、春になると境内のところどころで桜が咲き、華やかな桜景色が参拝客の目を楽しませてくれる。中でも最も人々の目を引く桜と言えば、入口付近に咲き誇る大きなソメイヨシノだろう。この桜は境内北側を東西に延びる天王寺七坂の一つ・逢坂からもよく見渡せ、そこから坂下にそびえ立つ通天閣も合わせて見ることができる。
続いて入口から山門へと続くスロープを登りながら上を見上げると、後方にそびえ立つ元日本一高いビル・あべのハルカスと山門前の桜を重ね合わせた光景が視界に入る。これぞまさしく再開発著しい天王寺駅周辺に境内を構える一心寺ならではの景色であり、個人的には大阪でも有数の穴場の絶景桜ポイントであると思う。
そしてスロープを登った先にある山門では、両脇に一対の巨大な仁王像がそびえ立っており、またこの周辺でも多数の桜が咲き誇ることで迫力ある仁王像を可憐に彩る。さらに中へ入れば大本堂の前でも桜の咲く様子が見られる。このように春の一心寺は境内の内外より様々な桜景色を見ることができる寺院となっている。
桜見頃時期・参拝時間・参拝料
【桜見頃時期】例年3月下旬〜4月上旬頃
※その年の気候状況により時期は前後します
【参拝時間】午前5時〜午後6時
【料金】無料
一心寺へのアクセス
①JRor大阪メトロ「天王寺駅」下車徒歩約8分
②大阪メトロ谷町線「四天王寺前夕陽ヶ丘駅」下車徒歩9約
一心寺周辺の桜名所
一心寺の境内は既に言及しているように坂道(逢坂)の途中に位置している。これは元々は台地(上町台地)の崖線であった場所が坂道として整備された結果であり、その周辺一帯に延びる7つの坂道のことを「天王寺七坂(上画像)」と総称する。逢坂はこの七坂のうちの一つであり、また逢坂を含めその全ての坂で桜を見ることができる。
他、一心寺境内の南側に広がる天王寺公園は桜と通天閣と夕焼けを同時に望むことができる大阪随一の桜の穴場スポット。また北側に境内を構える四天王寺は聖徳太子が建立した日本最古の官寺という非常に古い歴史を持ち、その広い境内には多数の桜が見られる。