清水寺の概要
清水寺は京都市東山区にある清水山の西麓中腹に境内を構える寺院で、北法相宗の総本山。清水山は音羽山とも呼ばれることから、清水寺も正式には音羽山清水寺(おとわさんきよみずでら)と号する。1994年には「古都京都の文化財」として世界遺産に登録された。
境内の面積は約13万平方メートルに及び、その広大な敷地には「清水の舞台」で有名な本堂や創建のきっかけとなった音羽の瀧、そして奥の院から見渡せる絶景など数多くの見どころが存在する。さらには紅葉や桜の名所としても著名。金閣寺や伏見稲荷大社と並ぶ京都で最も人気のある神社仏閣の一つであり、また連日修学旅行生や外国人旅行者など凄まじい数の観光客で賑わう日本有数の観光スポットでもある。
清水寺の歴史
清水寺の創建は778年と平安京遷都よりも古く、広隆寺や鞍馬寺と共に京都屈指の長い歴史を持つ。その縁起は元々奈良は興福寺の僧であった賢心が夢のお告げで北へ向かったところ、音羽山にて清らかな水が流れる滝を見つけたことに始まる。賢心はそこで行叡居士(ぎょうえいこじ)という仙人と出会い、行叡は賢心に霊木を授けた上で「私は東国へ行く」と言い残して立ち去った。
賢心は行叡のことを「観音の化身」であると確信し、授かった霊木を千手観音像に刻んで安置した。その2年後、鹿狩りで音羽山を訪れた軍人・坂上田村麻呂は修行中の賢心と出会う。田村麻呂は賢心の説法を受けて観音に帰依し、十一面千手観世音菩薩像を御本尊として寺院を建立した。そして寺名は音羽の瀧の水の清らかさにちなんで「清水寺」と名付けられた。
その後、平安中期には既に著名な観音霊場として賑わっていたことが種々の文献から明らかとなっているが、11世紀以降は興福寺と延暦寺のいわゆる「南都北嶺」の争いや応仁の乱の兵火等によって、幾度となく焼失と再建を繰り返している。本堂を始めとする現在の諸堂の多くは、1629年に発生した火災の後1633年に徳川家光の寄進によって再建されたものとなっている。また宗派は元々法相宗であったが、明治以降紆余曲折を経て戦後に「北法相宗」として分離独立している。
清水寺の四季
清水寺の境内は山の中腹に広がっていることから、その広大な敷地において非常に自然豊かな景色が見られるのも特徴の一つである。そしてその光景は季節が移ろう毎に大きく変化し、春は梅や桜、夏は青もみじ、秋は紅葉、冬は稀に雪景色と、ダイナミックに移り変わる四季折々の景色を楽しむことができるのもまた、大きな醍醐味の一つとなっている。
中でも最も代表的な時期と言えば秋の紅葉の季節で、奥の院から望む清水の舞台に広がるカエデが真っ赤に紅葉した光景は、紅葉の名所ひしめく京都の中でも最大のハイライトと言っていい。また青もみじの瑞々しい新緑や白銀に包まれた雪景色も素晴らしい。さらに春の季節には三重塔周辺を中心におよそ1,000本の桜が境内を華やかに彩る。加えて春の桜、夏の盆、秋の紅葉の季節には毎回夜間特別拝観も行われており、期間中は京都市街地に向かって幻想的な青色のサーチライト…通称「慈悲の光」が放たれる。
清水寺の見どころ
仁王門
茶屋や土産物屋が軒を連ねる清水坂を登って行くと、その先に広々とした空間の広場が現れる。ここが清水寺の入口に当たり、修学旅行生を始めとする多くの観光客が集合写真を撮影する定番の場所でもある。そしてこの正面に正門である仁王門がそびえ立つ。
清水寺の仁王門は応仁の乱で一度焼失した後、15世紀末に再建された室町時代後期の建物で、現在は重要文化財指定。美しい丹塗りの門であることから「赤門」とも呼ばれている。なお仁王門は2003年に本格的な解体修理工事が行われことで、今では再建当時の美しい赤色が再現されている。
門の軒下には「清水寺」の扁額が掲げられており、こちらは平安時代の貴族で藤原道長に仕えた書家・藤原行成の筆によるものと伝えられている。また門前に並んで立つ紅梅と白梅の2つの梅木も見逃せない。3月中旬頃になると見頃を迎え、朱塗りの仁王門を背景とした鮮やかな梅景色もまた素晴らしい。
西門
仁王門の階段を上がると向かって右手に見えるのが西門(さいもん)。仁王門と同じく丹塗りかつ重要文化財指定で、後方には清水寺のシンボルの一つである三重塔がそびえ立つ。現在の建物は江戸初期の大火で焼失した後1633年に再建されたもので、1994年には保存修理が行われている。
西門は正面(下)から見るか背面(上)から見るかで景観が大きく異なる。すなわちさらに階段を上って背面から西門を臨むと、その先には京都市街地を一望できる壮観な光景が広がっている。また西門から市街地へは西方を向くため、ここから見える西山の日没はとりわけ美しいことも古来よりよく知られている。なお西門は仁王門と違い通り抜けることはできない。
三重塔
西門の東隣に立つ三重塔は高さ約31mで、三重塔としては国内最大級の大きさを誇る。創建は平安時代初期の847年まで遡り、その後幾度かの消失を繰り返した後、今の建物は江戸時代に入って1632年に再建されたもの。現在は重要文化財に指定されており、また1987年には解体修理が行われたことで、再建当初の総丹塗りや桃山様式を示す極彩色文様が復元されている。
三重塔は高台に広がる清水寺寺域において最も端に位置していることから、境内内部の様々な地点からよく望見することができ、本堂等と並ぶ清水寺のシンボル的存在にもなっている。個人的に三重塔の見晴らしが良いと思うのは奥の院横、子安塔前、放生池あたりで、それぞれ違った角度からそびえ立つ三重塔の端正な姿を拝むことができる。(上画像は奥の院横の下り坂より撮影した風景。)
本堂
清水寺は三重塔までは無料拝観エリアだが、その奥に続く本堂からは有料となる。清水寺の本堂と言えばとにかく巨大な大堂で、正面36m強、側面約30m、棟高約28mのサイズを誇る。内部は巨大な丸柱によって手前から外陣(礼堂)、内陣、内々陣の3つの空間に分かれており、一番奥の内々陣には御本尊である千手観音立像が奉祀されている。
内陣より先は神聖な空間のため、千日詣り等の特別な法要のとき以外は立ち入ることができない。拝観客は基本的に外陣の外側に廻らされた廊下を進んで拝観することになるが、この廊下がかの有名な「清水の舞台」に当たり、地上からの高さは約13m、4階建てのビルに相当する。そして眼下には清水寺の広大な境内を見下ろすことができる絶景が広がる。
なお、「清水の舞台」がこれ程までの高さを誇るのは、本堂が音羽山の急峻な崖に建築されていることによる。そしてこの建築を可能にしているのが「懸造り(かけづくり)」と呼ばれる日本古来の伝統工法で、格子状に組まれた木材同士を巧みに接合し支え合うことで、断崖であっても耐震性の高い構造をつくり上げている。なお、このとき釘は一本も使用されていない。
懸造りの見事な工法は奥の院の真下に位置する音羽の瀧付近から見上げると、その凄さをよく理解することができるだろう。なお現在の建物は徳川家光の寄進により1633年に再建されたもので、国宝指定。近年では2017年から始まった半世紀ぶりの素屋根の檜皮葺替工事、いわゆる「平成の大改修」が2020年をもって完了しており、完全な状態で本堂の素晴らしさを体感できるようになっている。
奥の院
本堂を奥(東)の方へと進むと、舞台の先には左に阿弥陀堂、右に奥の院が見える(いずれも重要文化財指定)。このうち奥の院は音羽の瀧のちょうど真上に立っており、秘仏本尊の三面千手観世音菩薩坐像等が祀られている。なお現在の建物は1633年に再建されたもので、2017年には全ての修理が完了している。
そしてこの奥の院も、本堂と同じく断崖絶壁に立つ懸造りの「舞台」があり、そこから清水の舞台とその先に広がる京都市街地を一望できる。この類稀なる絶景は歴史の教科書にも掲載されている程お馴染みな光景であるので、「日本にいる以上は一度は見ておきたい景色」と言っても過言ではないだろう。
ちなみに、舞台の前に生い茂る樹木は殆どがカエデであるため、その光景は新緑が芽吹く4月中旬頃から紅葉の季節に当たる11月末頃までが特に素晴らしい。中でも紅葉の最盛期である11月下旬頃は筆舌に尽くしがたい絶景が広がるが、新緑が美しい4〜5月頃の景色も十分見応えがある。また奥の院から市街地へはちょうど西方を向きかつ視界が開けているため、夕日がよく見える京都有数の夕焼け鑑賞ポイントでもある。(ただし、拝観時間と日没時刻の兼ね合いから常に夕焼けが見られるわけではない。)
地主神社
本堂から奥の院へと向かう途中、左手には縁結びの神で有名な地主神社(じしゅじんじゃ)が境内を構えている。ここは恋愛成就にご利益があるとして京都で最もよく知られた神社の一つであり、境内内部には恋占いの石など多数の見どころが存在する。
地主神社の創建は清水寺より遥か昔なため正確な年代は定かではないが、京都で最も歴史のある神社と伝えられている。現在の本殿は清水寺の本堂等と同じく1633年に再建されたもので、江戸時代までは清水寺の鎮守社とされていたが、明治維新後の神仏分離令によって清水寺から独立したという歴史を持つ。なお、清水寺が1994年に世界遺産に登録された際は、地主神社も清水寺の一部として同じく世界遺産に登録されている。
※社殿修復工事のため、2022年8月から約3年の間は閉門され、地主神社の中に入ることはできない。
音羽の瀧
奥の院左手に延びる緩やかな下り坂、又は右手にある階段を下った先には音羽の瀧(おとわのたき)がある。…滝と言っても実際は少量の水がこんこんと流れ出ている程度に過ぎないが、清水寺の歴史でも触れたとおり、この音羽の瀧こそが清水寺の開創の起源かつ寺名の由来となった滝であり、その深い歴史と御利益から多くの人が列を成す清水寺の見どころの一つとなっている。
祠から伸びる音羽の瀧の水流は三筋に分かれ流れ落ちており、それぞれ正面から見て右から「延命長寿」「恋愛成就」「学問成就」を意味している。参拝者は三筋の内から一つを選んで柄杓に汲み、その聖水を一口飲むことで所願成就を祈願するのが作法とされている。
放生池
音羽の瀧や本堂前を通り過ぎ順路に沿って進んで行くと、最後に放生池(ほうじょうち)という池が出口手前にかけて広がっている。この付近には十一重石塔という印象的な建造物も立っており、これは江戸前期における諸堂の再建を記念して1634年に建立されたもの。他、上に目を向ければ高台の上に立つ三重塔をよく見渡すこともできる。
清水の舞台
上述した清水寺の見どころの中でも最も印象的な見どころと言えば、やはり「清水の舞台」となるだろう。この清水寺の舞台はかの有名な諺『清水の舞台から飛び降りる覚悟で…』の語源にもなった場所で、歴史を遡れば江戸時代にかけて実に234人もの人が実際に清水の舞台から飛び降りたという。
この一見自殺のような行為は「(清水寺の本尊である)観音様に命を預けて清水の舞台から飛び降りれば、命は助かり願いも叶う」という一種の信仰心によるものとされている。(しかしながら、現実にはその内の約15%が命を落としたという。)なお、明治期に入ると清水の舞台からの飛び降りは封建的な悪習と見なされ、1872年に「飛び降り禁止令」が制定されて以降は飛び降り行為は硬く禁じられている。
清水寺の拝観時間と拝観料
【拝観時間】
・1〜6月、9〜12月:6:00〜18:00
・7〜8月:6:00〜18:30
※春夏秋の夜間特別拝観時には21:30まで閉門時間が延長される
【拝観料】一般400円、小・中学生200円
清水寺の混雑状況
京都の人気観光スポットで心配されるのが混雑状況。清水寺に関しては京都で最も注目を集める名所の一つと言って過言ではなく、特に外国人旅行者や修学旅行生の定番な訪問先と化しているため、平日休日を問わず毎日凄まじい数の観光客が訪れる。中でも紅葉や桜の見頃時期は想像を絶する混雑度合いとなるが、それ以外の時期であっても人が多いことに変わりはない。
とは言え、清水寺の境内は非常に広大なため、最大の見どころである奥の院の舞台を除けば身動きが取れなくなるほど混み合うということはない。また奥の院の舞台もある程度時間が経てば前の人も場所を代わってくれるので、景色が見られるかどうかについてはそこまで憂慮する必要はない(ただし紅葉や桜のピーク時の夕暮れ時に関しては別)。
その上で、敢えて清水寺の混雑を避けたいのであれば開門直後に訪れるのが最も良い。清水寺は6:00という非常に朝早い時間から拝観できるようになっているため、その時間帯であれば流石に人もまばら。とは言え、公共交通機関の始発時間を考えると清水寺の周辺で宿を取ることが条件にはなる。加えて清水寺の東側は山に覆われているため、早朝だと太陽の陽が差さない可能性にも留意する必要がある。
ちなみに、個人的にオススメなのは閉門直前。この時間帯も人が少ないとは言えないものの、奥の院の舞台を余裕を持って見られる程度には人が少なくなる。また日暮れ時であれば西日が差すことで堂塔伽藍が色鮮やかに浮び上がり、清水寺境内が最も美しく見える時間帯でもある。無論、場合によっては夕焼けを見られる可能性もある。また季節的には樹木が落葉する冬の時期が比較的閑散期となる。
※なお、このページで掲載している写真はコロナ禍の2022年5月及び2023年3月に撮影したものです。
清水寺へのアクセス
①JR「京都駅」より市バス(206・100系統)or京都バス(18系統※土・休日のみ運行)に乗車し「五条坂」バス停下車徒歩約10分
②阪急京都本線「京都河原町駅」より市バス(207系統)に乗車し「清水道」バス停下車徒歩約10分又は京阪バス(83・85・87・88系統など)に乗車し「清水道or五条坂」バス停下車徒歩約10分
③京阪本線「祇園四条駅」より市バス(207系統)に乗車し「清水道」バス停下車徒歩約10分又は京阪バス(83・85・87・88系統など)に乗車し「清水道or五条坂」バス停下車徒歩約10分
④京阪本線「清水五条駅」下車徒歩約25分
⑤京阪本線「七条駅」より市バス(206・100系統)に乗車し「五条坂」バス停下車徒歩約10分
※京都駅〜清水寺間は特に慢性的に渋滞しているため、なるべくバスを使わず私鉄駅から徒歩で向かった方が良い
清水寺周辺の名所
清水寺が所在する東山地区は非常に多くの観光名所が集中する京都一の人気観光エリアであり、清水寺はその内の南端に位置している。境内付近には清水坂、産寧坂、二寧坂、ねねの道といった風情ある通り道が紆余曲折しながら北へ向かって延びており、また道中には京都を代表するランドマーク・八坂の塔が立つ法観寺や、豊臣秀吉の正室・ねねが余生を過ごしたことで知られる高台寺など、多数の古寺名刹が点在している。さらにねねの道の先にも円山公園や八坂神社、知恩院、青蓮院門跡などがあり、周辺の見どころは枚挙にいとまがない。