外灘の概要
中国における商業・工業・金融・貿易・交通等の中心で、同国最大の世界都市として君臨する上海(Shanghai)は、その中央に黄浦江(こうほこう)という長江からの巨大な支流が南北を縦断するように流れている。この黄浦江の西側に広がる土地一帯は、19世紀半ばから20世紀前半にかけて英米仏を中心に開発されたいわゆる「租界地区」であり、その内の黄浦江西岸を走る中山東一路沿いの地域のことを「外灘(わいたん)」と呼ぶ。(英語名である「バンド」の名称でもよく知られている。)
全長約1.1kmに及ぶ外灘の範囲は、南は延安路、北は黄浦江の支流である呉淞江(蘇州河)に架かる外白渡橋(旧ガーデンブリッジ)までとされており、またその間には52棟もの西洋建築が中山東一路に沿う形で建ち並んでいる。この西洋式建築群は、今から約100年前の租界時代において当時の最高水準の建築技術を取り入れて建てられたものであり、その光景はとてもアジアで見られるものとは思えない。
まるで近代西洋の世界に迷い込んだかのような景色が広がるこの外灘という場所は、今では毎日凄まじい数の人が押し寄せる上海一の人気観光エリアと化している。また黄浦江を挟んだ対岸には、90年代以降大規模な開発が行われた浦東新区(上画像)が広がっており、東方明珠電視塔を始めとした超高層ビルが乱立する未来的な光景をよく望むことができる場所でもある。
外灘の歴史
外灘の歴史は上海租界の歴史、ひいては上海が世界都市として発展していった歴史と殆ど重なる。1840年、アヘン戦争で清がイギリスに敗れると、1842年に結ばれた南京条約によって清は上海を始めとした5港の開港を余儀なくされた。この時、上海は未だ一地方都市に過ぎなかったが、これを機にイギリスを筆頭とした外国資本が大量に流入したことで、上海は世界有数の国際都市として飛躍的な発展を遂げることとなる。
戦争の勝者となったイギリスは領事館の建設や自国民の居留地を確保することを目的に、当時の上海当局へ土地の租借を迫った。これにより1845年、黄浦江の西岸の一角に「イギリス租界」が設置されると、続いてアメリカやフランスも相次いで租界を設置する(アメリカ租界はその後、1863年にイギリス租界と合併して「共同租界」となる)。
その後も租界全体は拡張を続けていったが、中でも上海の一等地として最も栄えた場所は、黄浦江西岸沿いに延びる外灘であった。共同租界内にある外灘は当初、貿易の拠点として整備されていたが、1890年頃から建築ラッシュに突入。20世紀に入ってからは建物がさらに大型・高層化していき、繁栄期である1920年代には高層ビルが競うようにして建設された。1930年頃には既に現代の外灘の風景は殆ど完成していたとされる。
当時の外灘は上海における行政経済の中心として、各国の領事館や銀行、商館等が集中して建てられた。なおこの時、イギリスを始めとした欧米人は各建築物を当時の最高水準に合わせて設計し、また様式もその時代の欧米各国で流行していたものと同じスタイルを取り入れた。外灘に建ち並ぶ建物が今でも「近代ヨーロッパ」の香りを色濃く残しているのは、そのような歴史的背景による。
その後、上海の繁栄及び上海租界の歴史は日本の第二次大戦敗北によって幕を閉じた。しかしながら、租界時代に建てられた外灘の西洋式建築群は幸運にも殆どがそのままの姿を残し、今では当時の上海の栄華を現代に伝える貴重な文化財として保護されている。また近年はホテルやレストラン等が既存の建物の中に入るなど、リノベーションによる再開発の動きも活発化している。
外灘の夜景
100年以上に渡って異国情緒溢れる独特な景観を保ってきた外灘であるが、現代の外灘においてその異質な雰囲気が最高潮に達するのは夜であろう。外灘では18時もしくは19時(時期によって異なる)になると照明が点灯し、黄浦江沿いに建ち並ぶ巨大西洋式建築群がライトアップされるのだが、その宝石のようにきらめく夜景は溜め息が出る程に美しい。
サッスーンハウス、江海関、香港上海銀行ビル…外灘の名だたる名建築の数々が眩い光に包まれ、闇夜に神々しく浮かび上がる。その壮大なスケールの夜景は中国屈指…いや世界屈指と言っても過言ではない。また黄浦江の対岸の方に目を向ければ、浦東新区に林立する超高層ビル群もライトアップされており、外灘とは対照的な未来的都市夜景も併せて堪能することができる。これらの景観は間違いなく上海観光における最大の目玉であり、上海を訪れた際は必ずその目に焼き付けてほしい。
外灘の夜景見どころ
先にも述べたように外灘には52棟もの西洋建築が存在するので、実際に訪れる際はある程度注目する建物を絞った方が良い。ここでは外灘を訪れれば特に目を引くであろう建物を中心に紹介する。
大北電報公司ビル
外灘に建つ建物は南から順番に1号、2号…という風にナンバリングされている。大北電報公司ビル(上画像右)はそのうちの7号に当たり、1907年にデンマークで創立されたグレート・ノーザン・テレグラフ(中国名:大北電報公司)の社屋として建設された。建物全体はネオ・バロック風建築となっており、現在はバンコク銀行の上海支店が入店している。
香港上海銀行ビル
大北電報公司ビルの二つ北に建つのは香港上海銀行ビル。時計塔が印象的な江海関のすぐ隣にそびえ建ち、江海関と共に外灘を最も代表する建物の一つとして知られている。この新古典主義のデザインをした建物は、1921年に香港上海銀行上海支店の新社屋として建設されたもので、1923年に完成した当時は「スエズからベーリング海峡までの地域で最も輝かしい建築物」と称されるほど豪華絢爛な建物であった。
敷地面積は2万3千㎡以上に達し、当時の銀行としては世界で2番目の大きさを誇っていた。しかしながら完成後は、日本軍による接収、上海市議会の議会場となるなどの紆余曲折を経て、現在は上海浦東発展銀行が入居している。(香港上海銀行は浦東の方に移転している。)
香港上海銀行ビルは正面から見るのもいいが、やはり江海関と並び立つ姿が見られる横からの構図が最高に美しい。また夜にライトアップされた暁には、ギリシャ神殿を模した外観がより一層の威容を放つ。
江海関
外灘に建ち並ぶ数ある西洋建築の中でも、最も目を引く建物と言えば時計塔が聳え立つ江海関(こうかいかん)だろう。江海関とは「江蘇海関」の略であり、元々は江蘇省を管轄する税関所として設立された(今も上海税関が入居している)。
現在の建物は1927年に再建された3代目で、ギリシャ風新古典主義の外見をした鉄筋コンクリート造り。その大きさは鐘楼を合わせると11階建て高さ90mを誇り、当時外灘では最も高い建造物だった。さらに時計塔はアジア最大、世界でも3番目に大きく、その圧倒的な威容から外灘を最も象徴する建物と言って過言ではない。
しかしながら、江海関の美しさを最も引き立てる瞬間と言えばライトアップされた夜だろう。漆黒の背景は時計塔の存在感をより一層高め、その壮厳な姿に道行く人々の誰もが目を奪われる。また江海関の鐘楼は15分に一度時報の鐘を鳴らし、その美しい音色が江海関の重厚さをさらに掻き立てる。
ノースチャイナ・デイリー・ニューズビル
江海関より北へ四つ隣に建つのは新古典主義とルネサンス様式を組み合わせたノースチャイナ・デイリー・ニューズビル。1924年に建築された当時は上海で最も高かったビルで、その名のとおり当時上海で英字新聞を発行していたノースチャイナ・デイリー・ニューズの社屋として建設された。現在はアメリカ国際保健(AIA)が入店し営業しているため、「AIAビル」とも呼ばれている。
パレスホテル
上海におけるメインストリート・南京路の東端南に位置するパレスホテル(上画像左)は、1908年に完成したルネサンス風の建物。外灘には新古典主義による重厚な建築物が多い中、こちらは赤と白のレンガからなる可愛らしい造りが印象的。現在は南京路を挟んで隣に建つ和平飯店(サッスーンハウス)の南楼として使用されている。
サッスーンハウス
パレスホテルの北隣に建つサッスーンハウスは、1929年に完成したアール・デコ様式の美しい鉄筋コンクリート建築。10階建てで高さは77mに及び、急斜面のピラミッド型をした青緑色の屋根が非常に特徴的。上海一の繁華街・南京路に面しているという立地もあって、江海関や香港上海銀行と並んで外灘を代表する建物として知られている。
この壮観な建物は租界時代の上海経済及び不動産を支配した財閥・サッスーン家によって建設された。当初は上海で最も格式の高いホテルであったキャセイ・ホテルが入店しており、上海を訪れる大使の多くがここに宿泊した。また当時はイギリスやフランス、日本など各国風にアレンジされた客室が用意されており、世界中から集まる旅行者をもてなしたという。
サッスーンハウスはその後、1950年代に和平飯店に売却され、現在は和平飯店の北楼としてホテルの営業が続けられている。また、今日においてはオールドジャズバンドの演奏が聴けるジャズバーや屋上テラスが併設されたレストランも有名であり、中でも夜の屋上から見渡せる外灘と黄浦江、浦東新区の夜景は余りにも贅沢すぎる絶景で、一見の価値がある。
中国銀行ビル
サッスーンハウスの北隣に建つ、こちらも背の高い建物は中国銀行ビル(下画像右)。元々は34階建てに上る極東最大のビルとなる計画だったが、お隣のサッスーン家が「私のビル(サッスーンハウス)の隣に建つ建物が我がビルの屋根より高くなることは許さない」と主張したため、結果的に当初計画の半分程度、サッスーンハウスより若干低く建てられたという苦い歴史を持つ。
しかしながら、外灘のその他の建物が列強資本により建設されたものに対して、中国銀行ビルは中国人により建設され、また全体的な外観も伝統的中国様式に則っているところに大きな特徴がある。1937年に完成した中国銀行ビルはその後、国共内戦で中国共産党が勝利したことに伴い中国銀行が台湾へ渡ったため、現在は兆豐国際商業銀行が入店している。
グレンラインヒル
北京東路に面して建つグレンラインビルは元々はドイツの会社による所有だったが、第一次世界大戦でドイツが敗戦したのち英国資本のグレンライン公司がこの土地を買い取り、1922年に改築・完成した。建築様式はルネサンス式であり、現在は上海清算所が入居している。
浦東新区(陸家嘴)
ここまでは中山東一路沿いに建つ建物を取り上げてきたが、その反対に目を向けると、外灘のノスタルジックな風景とはまるで対照的な未来的景観を目にすることができる。黄浦江東岸に広がるこの地域は浦東新区(ほとうしんく)といい、対岸である外灘から見られるのはそのうちの陸家嘴(りっかし)と呼ばれるエリアとなっている。
浦東新区はその歴史も外灘とは対照的で、外灘が全盛を誇った租界時代は農村が広がる寒村地帯に過ぎなかった。ところが90年代以降大規模な開発が行われると、今では東方明珠電視塔や上海中心大廈、金茂大厦、上海環球金融中心といった目も眩む程の超高層ビルが所狭しと建ち並ぶ国際金融センターと化している。
外灘のある黄浦江西岸からはこの浦東新区(陸家嘴)の景観を非常によく見渡せるため、近年の外灘はそのレトロな建築群よりも、浦東新区の未来的光景を望むための定番の写真撮影スポットとされている感もある。しかしながらその眺めは、経済成長著しい現代中国を最も良く現した景観であるし、また夜になって超高層ビル群が光り輝く都市夜景も、圧倒的な未来感を誇る。
濱江大道
上述した陸家嘴が広がる黄浦江の東岸では、川沿いにかけて濱江大道という遊歩道が約2.5kmに渡って延びている。この濱江大道は陸家嘴とは反対に外灘の全体を非常によく望見することができ、外灘が誇る西洋式高層建築の数々がずらりと建ち並んだ光景をよく見渡すことができるスポットとなっている。
濱江大道からの外灘の眺めは近距離から見るのとはまた違った壮観な景色であるので、時間があればぜひこちらも併せて訪れてほしい。また建物がライトアップされ対岸が宝石のようにきらめく夜景も素晴らしいが、濱江大道から外灘へは西方を向き、かつ広大な黄浦江の上には遮るものが何もないため、外灘と夕日を綺麗に視界に収めることができる上海きっての夕焼け鑑賞スポットでもある。
【アクセス】上海地下鉄1or14号線「陸家嘴駅」下車徒歩約10分
外灘の混雑状況
外灘は上海における一番の観光エリアであることから、そこに集まる人の多さもまた凄まじい。とはいえ、外灘の範囲は全長1km以上と広範に渡り、また黄浦江沿いに延びる堤防も広々としているため、混雑はするものの身動きが取れなくなるという程ではない。また外灘の見どころである西洋式建築群はいずれも背が高く、浦東新区に広がる定番の景観についても外灘のどこからでも見ることができるため、写真撮影に関しても特段憂慮する必要はない。
外灘へのアクセス
上海地下鉄2or10号線「南京東路駅」下車徒歩約15分
外灘周辺の夜景名所
黄浦江の東岸・浦東新区内にある陸家嘴は、外灘と並ぶ上海の二大夜景スポット。本記事で述べたように、対岸である外灘からは超高層ビルが乱立する陸家嘴の未来的都市夜景をよく見渡すことができるが、陸家嘴の現地に身を置いて目が眩む程の超高層ビルを下から見上げたり、展望台に上って上海の輝かしい夜景を高さ数百メートルの位置から見下ろすのもまた、素晴らしい夜景鑑賞となるだろう。
また陸家嘴とは反対の黄浦江西岸では、外灘を起点に東西に延びる上海のメインストリート・南京路にて、建ち並ぶ建物が綺羅びやかにライトアップされる。南京路は外灘の最寄り駅である南京東路駅まで続いているので、外灘からの帰り道でもまた繁華街の美しい夜景を堪能することができる。さらには明代の庭園・豫園の周辺に広がる商業エリア・豫園商城においても、ノスタルジックな夜景を見ながら散策やショッピング等を楽しめる。